仕事が安定してきた1750年、ピエール - ジャケ・ドローはマリアンヌ・サンドと結婚します。 1751年には娘ジュリー、1752年には息子アンリ・ルイが誕生しますが、そのわずか数年後の1755年、妻と娘が相次いでこの世を去ります。しかし彼は再婚せず、時計製作の仕事に打ち込みました。 そんな折、ひとつの出会いが彼の人生の流れを変え、彼を国際的なキャリアへの第一歩へと導きます。 この頃、当時ヌーシャテル州知事であったミロール・マレシャルと知り合い、知事はピエール - ジャケ・ドローに自らの作品を外国で発表するようアドバイスします。そして、王族に紹介できるからと、スペインへ向かうことを勧めたのです。 このサポートを後ろ盾に、ピエール - ジャケ・ドローと義父、そして若き工員ジャック・ジュブリルは、6つの時計を運ぶために特別な馬車を作り、1758年、スペインへと向かいます。